fuki's diary

普段の日常や趣味など色々アップしていきたいと思います。

十分すぎる。

 

久しぶりにブログ書いてみました。

 

んー、何か書きたいというよりは

思うこと感じることを少し整理出来れば。くらいに。

 

最近の話。

 

 

 

 

ここ3ヶ月近く、

自分の人生の中でもかなりタフな期間でした。

心身ともに、特に心の部分で

なかなかにタフでした。

 

 

 

特に周りに言及はして来なかったですが

ある1つの死に対して

それを受け入れることに対して

とても時間がかかっていました。

 

 

 

そのタイミングは、

自分の体調もあまりよくない時期で

かつ、テスト勉強や提出物、研究と

多くの事が重なってしまった時期でした。

 

 

 

 

私はこれまでの人生で

自分は近しい人の死に対面する事はなく

そして自分の好きな人や尊敬する人の悲しい出来事に対することもなく生きてきました。

 

 

 

ただ、

この半年少しの間に

多くの人が亡くなりました。

 

それは誰かにとって大切な家族で、

みんなの知っている芸能人だったり、

 

遠い話ではないと常に思い続けてきました。

 

 

その度に、

SNS上で流れる「悲しい」という声

「悲しい、ショック」という声

そして、ワイドショーなどで流れる特集や

遺族のSNSに対する多くのコメントを

目にしてきました。

 

 

自分はそれに対して

大きな違和感を抱き続けてきました。

 

 

 

本当に悲しい?

 

 

 

悲しいという声を上げる人は

コロナ禍でもなんとか遊びたい、外出がしたいとすぐにSNSにあげるような人に感じました。

少なくとも自分の目にした範囲では。

 

 

結局は自分の事とは切り離して

他人事でしかないんだな。と。

 

 

 

ある人が亡くなった際に、

「誹謗中傷」というワードが溢れかえりました。

私はその人に詳しくはないですが

実際死を選ぶ理由なんて本人以外に分かるはずもないのに、と思っていました。

 

誹謗中傷がこれまでにあった。

 

という状況で、

そのTwitterのリプ欄を見てきたにも関わらず

気にもとめず、ただ傍観していた人々が

 

誹謗中傷ありえん!そいつが殺した!

SNS上では威勢よく声を上げている。

そんな姿ばかりが目に入りました。

 

 

それは例えば

クラスでいじめが起きていても

気にもとめていなかった、傍観していた人が

 

いじめが終わるタイミング

うまく言えませんが、いじめられていた子が

助けられるような瞬間で

すぐに味方に回り、あいつが悪かった

と寝返るような人ではないでしょうか。

 

サイレントマジョリティーでしかなかった。

自分は声を上げる事もなかったくせに。

 

 

 

正義を振りかざせるほどの

行動をしていたのか。

 

と感じてしまっていました。

 

 

 

 

 

感じている違和感がうまく伝わるかは

分からないですが、

 

もうそれを見たくないと。

全てを閉じてしまいたいと思った時期がありました。

 

 

 

冒頭で述べた大きな1つの死があった時

 

 

それから2週間ほど

SNS、テレビなどのメディアを

全て遮断しました。

 

 

最低限、テストなど助けてくれる友達との

連絡をしていたくらい。

 

 

正義面した言葉

死んでから美化されるエピソード

心配!大丈夫??と大量に送られるリプ

勝手な予測でしかない死因

 

 

見たくないもので溢れ返ることが

容易に想像できたから。

 

 

 

 

 

1人で部屋にいる時間

何も手につかず、色々な事を考えて

眠れず、ただ涙が止まらない。

そんな時間を過ごしていて、

でもテストもあるし、提出物もどうしても終わらせなければならない。

 

 

本当に動くことがしんどくて

何もかもやめてしまいたいと思いました。

 

 

 

でもその時に周りの多くに支えられて

 

なんとか乗り越える事ができて

周りのみんなに本当に感謝してます。

 

 

 

 

 

その人を私は尊敬していて

また、私は

その人が仲間同士で

お互いに尊敬し合い、色々な業界で頑張っている姿に憧れていました。

 

 

バンドマン、俳優さんであったり、

美術家、演出家であったり

 

でも彼らがお互いをリスペクトして

それぞれ活動している事を見ているのが好きで

 

そこに大きな憧れと勇気をもらっていました。

 

 

 

 

自分にとっても

お互いにリスペクトし合える大切な仲間がいて、

私は勝手に尊敬するその人達の関係性と

自分の周りの仲間の関係性を重ねていました。

 

 

みんなそれぞれ全然違うことをしていて

 

でもリスペクトし合える仲で

どんな相談もできて、

誰かが倒れてたら何があっても優先して

飛び立てるような仲間です。

 

 

 

自分にとって誇らしい仲間がいて

 

 

でも、もしその中の1人が

 

どうしてもうまく消化しきれない悩みや

大きな負の部分を抱えて

 

命を絶ってしまったら。と考えました。

そんな状況、自分だったらどう思うだろう。

 

こんなに分かりきってると

お互いなんでも言えると

思っていてもそんな事があり得てしまうんだと。

 

死ぬほど怖くなって

 

自分は過信しているのかもしれない。

大切に思っている友達、仲間を

失うわけないと思っていた。

 

でも失う可能性は当然のようにあると。

 

 

 

 

 

当たり前に思っている日常で

 

当たり前のように自分の周りにそんな

もったいないくらい素敵な仲間がいて

 

 

でもそれはどれだけ幸せなことなんだろう。

 

 

 

 

SNSを断つ前に

仲間に伝えました。

 

どんだけ辛くても抱え込む前に絶対に

言って欲しい。頼って欲しい。

 

そんなことを絞って伝えました。

その時はそれが精一杯で。

 

 

 

 

それ以降、

休み期間に普段なかなか会えない仲間に

会う機会がありした。

 

 

言葉にして伝えよう。

 

 

会う親友達に

出来る限りの事は正面から伝えているつもりです。

たぶんうっとうしいくらい。

 

おれには大切な存在で

会える事が嬉しいし、頼って欲しいと。

ただ生きてて欲しい。

 

 

 

それでも、

人は自分が一番しんどい時、

辛い時にそれを打ち明けられない事があると

そういう生き物だから

 

言って満足、いつかあっちから言ってくる

ではなくて、常に気をかけてやりたい。

 

 

そして私がどうしてもしんどい時、

辛い時は助けて欲しい。力になって欲しいと

心の底から思います。

 

そんな仲間がいる事が、

 

かけがえのない宝物で

シアワセだと感じられる大きな部分です。

 

 

 

 

 

この数ヶ月の間、

ほんとにしんどい時に支えてくれた人達に

感謝しきれないし、

 

普段から、

どうでもいい話から相談事まで

色々付き合ってくれる人がいて

 

それだけで幸せです。

 

 

 

 

いつも本当にありがとう。

 

 

 

 

少し前のONE OK ROCKのLIVEで

 

私はその大きな死を1つ受け入れて

前に進めるきっかけになった気がします。

 

 

 

前を向いて、

おれには十分すぎる幸せを

大切に大切に生きていこう。

 

 

そして誰かに愛してると伝えよう。

 

 

 

そんな人生を。