曖昧さを美しくするのは想像力だ。
自分のことについてよく考える。
昔から分析が得意で、それ故に効率的だった。
それでいて妥協できず、こだわりが強い。
そして、ネガティブ。
まあこんなもんだろと思って生きてきたが
大学生になってから色々な人に触れた。
なんで自分はこう考えるんだろう。
なんでこれが嫌なんだろう。
そうやって反芻していると自分の本質が見えてくる。
繊細さん とか最近は言われるようになって
少しずつ周知されてきた HSP (Highly Sensitive Person の略称) についても考える。
Webなどであるような診断テストを行ってみると、点数がそこそこ高く、まあだいたいそんな感じの人間だろうと思う。
しかし、先天的なものではないのかもしれない。と感じる。
むしろ後天的に繊細になってきた人間性だろうと。
例えば、HSPの人の中には
虫が死んでいたり、横を通るバイクの荒々しい音を聞いたり、といった事象に
ひどく悲しみを感じて涙を流したり、
共感性が高すぎる故に小さなことでも通常の人よりも感動の幅が広かったり、
ということがある。
私は昔からこうゆうことがあったわけでなく、自覚があるわけでもなかった。
私は人の言葉、語気に1番気を遣う。
どういった心情、性格、考え方があって、それが前提で思考ができていると考えるので
この人はこうゆう人なんだろうと潜在的な部分を感じてしまう。
また、自分が無意識に人を傷つけるような言葉を言いたくなく、言い回しや寄り添い方に気を遣っているので、"そんな言葉が出てくるなんて信じられない"といった感覚にもよく陥る。
だいたいはスルーして深く関わらないので気にならないが、どうしても関わる空間にこのフィーリングが合わない人がいると、全て辞めて逃げてしまいたくなる。
そして音楽や絵画といったような芸術的な作品に触れると、涙が溢れてしまったり、異様なほど余韻が長かったりする。
どんなメッセージを込めているのか、どれほど時間をかけたのだろうか、
それを想像するだけでも胸がいっぱいになる。
映画やアーティストのライブに行った後も、余韻に浸る時間が長い方であって、
あまり話したくなくなってしまう。
具体的な話、感想をすることが野暮に感じてしまうので、"あぁ〜よかった"くらいしか連呼していないのだが。笑
クリエイティブな活力が湧く瞬間がネガティブな感情にあるようなアーティストは多いのではないかと感じていて、
死にたい時に書いたような落書きと
似たようなことをこれ以上なく繊細に、それでいてPOPに歌ってくれるようなアーティストがいて、救われる感覚があるんだと思っている。
あと匂いには敏感なんだと思う。
動物が嫌いなのだが、動物や餌の匂いが本当に苦手だったりする。また、タバコの匂いは昔からどうしてもダメで、わずかに感じてもイライラしてしまう。電子タバコでも嫌なので、電子タバコだから と話を投げてしまう人は苦手だ。気に入らない匂いがあると本当にストレスフルになってしまう。
この辺りは家族にも理解を得られないので、
家ではなるだけ自分の部屋に居たりする。
騒音に関してはそれほどストレスを感じない。
むしろ音のない世界が苦手だ。
自習室で勉強する みたいな環境が最悪に相性が悪く、無音で緊張感のある瞬間にはあまり触れたくない。
駿台予備校にいる時も、自習室には入らず皆んながご飯を食べに来るような休憩スペースでずっと勉強していた。むしろマクドの方が集中できた。
騒音がある中でもゾーンに入るような感覚があって、集中力は高いとは思う。
そもそも、考える時間が必要だったり
必要以上に考えすぎたり、1人の時間がないとストレスフルになってしまうような部分も特徴的であるのだと思う。
人といるとかなり疲れてしまうので、人と無干渉でいれる空間が必要だ。
誤解される事や、自分を分かられた気になられる事がとても苦手なので、
必要以上に言葉数を増やして、言い回しを考えて、最善策で伝えようとする。
これを会話で行うことにはいささかエネルギーが必要なんだろうと思う。
ネガティブな時には、人がいると監視されているような気分になってしまうので、
サボれない、休めない といった感情が脅迫的に頭の中で反芻され、逃げたい辞めたいという感情でいっぱいになってしまう。
電車に乗る時間はとても大事だったりする。
前後の用事と別で1人で干渉なくいられる時間を作れるからだ。
気心知れた人間ならむしろ過ごす時間が長くても嬉しいのだが。
これらの自分の特性についての話は
私はHSPなんです! みたいな稚拙な話でなくて、まあわりとぽい特性はあるよねー
くらいでしかなくて、
普段こんな事考えてる人間なんだーってゆうそれだけのことだ。
言ってしまえば、HSPの診断テストであったりADHDの診断テストであっても
"ある程度の人に少し当てはまる"ような質問は多い。
1人の時間が欲しい
緊迫した空間が苦手だ
誰かの怒りを感じるとストレスに感じる
など、、
一見誰でもそんな瞬間はあるような質問が多い。
重要なのは、程度 だということ。
その程度が突出していたり、それが原因でとても生きづらいようなレベルを得ている人がいるということを忘れないでほしい。
近年のネット社会、特にもう少し若い人たちの中に、ネタのようにそういった"特性"を挙げる人も散見される。
本当にそうゆう人が周りにいないんだろうと、想像したこともないんだろうと
でもそれが当たり前の世の中だよなぁと考えている。
しかし私はそれが嫌なので、
できるだけ周りの人にそんな人がいない環境がいいなと願ったりする。
なので、私はこんな人間だよーと開示してみる。
こだわり強くて繊細でめんどくさい奴だと思われても許してくれそうな人間に
期待してしまうので、伝えてしまう。
これが出来る様になった2017年あたりから
私は大事な人間を大事に生きることを
本当に生きがいにしている。
素直なんだ案外。
世話焼きで、人に興味なさそうに見えて
人間が大好きで期待してしまう暑苦しい人間なんだ。
だから、ストレートに伝えることが多いと思う。
愛してる人間には愛してるよーって
言ってる気がする。
相手を推し量って、想像して
言葉を選んで伝える。
こんなめんどくさいことができる相手は
自分が愛してる、愛したい人間なんだろう。
これが愛だなーなんて思ってた頃に
ぴったりリリースされた曲達を添えてこの話は終えとく。
大好きなんだこの曲達。
彼らとおんなじこと思ってたんだよ。
おれも立派なアーティストじゃん。って
親友達におれが作ったん?なんて言われたくらい。
アーティストのメッセージを受け取って、還元して生きられてる気がするんだー。
そうやって愛を大事に生きれたらカッコいいじゃんー。
って思ってる私です。
今日はこんな話。
私の好きなアーティスト達は
愛を大事にしているんだ。きっと。
痛いほど伝わってきて、
涙が止まらなくなるんだ。
それだけで幸せすぎる人生なので、
多くを求めず、当たり前を大事にしていきたい。
当たり前の日常を感じられればそれでいい。
ついでに。
HSPの診断テストは色々あって、
正確の判断をもらうようなものでもないので、参考程度にですが、あくまで、参考。
もしよかったら見てみてください。
そこまでゆうのがどんなもんなんだろうと思った人はぜひ。
なんなら聞かせてほしいー。