fuki's diary

普段の日常や趣味など色々アップしていきたいと思います。

悴んだ心で結った枷を解いて。

 

 

そろそろ年の瀬も押し迫り、

気づけば23歳を迎えました。

 

なんとなく、久しぶりに書こっかなと。

 

この1年は、人生で最もタフな年で。

でも去年もねー、そんなこと書いた気もする。笑

 

振り返るたんびに、あーしんどかったー。

って思ってるな。笑

 

 

でも先にゆうと

それでも幸せな1年だった気がするー。

 

 

 

 

 

頭は病院実習で始まって、学会、研究と

ずっとしんどくてダメになった。

死ぬ手前というか、底を知った。

どんだけ休んでも元に戻れん感覚と共に。

 

 

あーー、おれもうダメだわーーって

何も頑張れねえ人間になってしまった。

何の価値もない人間になってしまった。

って。

 

これまでの全部が折れてしまって。

これまでの自分を全否定してしまって。

 

連絡くれたり会ってくれたりしてくれるあなたたちに散々救われてきたけど、

 

ほんまになんて言えばいいんやろーみたいな感じやったよね。とても迷惑かけた。

 

ただ、うんうんって付き合ってくれて

これまでを間違ってないよーって言ってくれて

 

全部否定的に返してた気がするけど、ほんとに助かってた。

 

 

 

 

生きることに精一杯で、

なにもしないことを頑張ってて

何もできないけど前を向いてるつもりで、

ただそうやっていることに、全ての人間から敵意を向けられているように感じて、

罪悪感に苛まれて、自分を卑下して。

 

6月くらいまではずーーっとそんな感じ。

 

 

生きてる感覚なかった。

朝まで眠れないし、一生心は晴れないし

大好きな音楽、ゲームすら楽しくない。

こんだけ趣味に没頭する人間がそれすら出来んくなってしまうんよ。

 

 

病院実習を6、7月で挟んで

その間はいいリズム、職場で過ごして

ちょっと休んだら大丈夫だってなって夏休みに入って。

 

でも春先のツケが回って

もう研究ダメだ無理だって思ってしまってからは

おんなじような状態に戻ってしまって

 

 

大学何泊も泊まって

1人で廊下で泣いて座ってたり

キャンパス前の信号まできてから家に引き返したりで

 

大学の人達と会うこと、連絡を交わす事も

本当に嫌になってしまって、ほぼ全てをシャットダウンしてた。

 

 

 

 

9月の頭にもう全部が無理で、

限界でいっぱいになって大学辞めようとした。

 

 

教授に相談する時も、

足がガクガク震えて止まらんくて、涙もなんかずっと溢れてたけど

全部自分の気持ち話して、それを聞いてくれた。

 

 

結局のところ、

卒業研究もこれまでやってきてた分(3年時で学会発表を既にしていた分)でまとめて終われるような形にしてもらって

辞めない選択肢をとらせてもらって。

 

 

 

この相談、選択をする期間にも

やはりなかなか納得してもらえず、親との話し合いや、ゼミの発表をドタキャンして逃げた罪悪感であったり、

何もしてなくても心が疲弊していくことがほとんどで。

 

 

ただ、同じような選択を取っていた親友がいた。同じタイミングで。

 

それも救いの一つだった。

ゆっくりドライブして色んなこと話して、

まぁ、おれらなら別にこんなくらいで多少休んでも大丈夫かって。

 

またこの期間にも、大事なみんなが会ってくれて、電話付き合ってくれて、時間をつくってくれて。

 

それでなんとか卒業しとこうかって

前向きな選択を取ることができまして。

 

 

好きなアーティストのライブに東京まで行って、そのままおれの行きたいとこ全部に付き合ってくれたり、

 

東京から帰ってきたタイミングで

時間つくって深夜に公園で飲みながら話し込んだり、

 

おばあちゃんち帰って島でのんびり過ごしたり、

 

可愛いいとこちゃんと会って遊んだり、

 

大好きなアーティストのライブにちょこちょこ行ったり、

 

なんかある度に(笑)しょっちゅう飯付き合ってくれたりゴルフ行ってくれたり、

 

特に深い話聞かずに毎日ゲームをただただ一緒に楽しくやってくれたり、

 

ドライブしたり服買いに行ったり有馬温泉行ってのんびりしたり、

 

いつも近くで味方でいてくれて、忙しいのにドライブ行ってくれたり、

 

なかなか会えんかったけど、ずっと連絡くれてスポーツやるのも呼んでくれたり、

 

 

書ききれんけど、そうやって大事な人達にゆっくり時間使って、あとは自分のしたいことに素直に取り組んで時間を過ごしてた。

 

そうするのが、唯一できることだった。

 

 

あと、いつも1番連絡取って分かってくれてる相方ちゃんもね。ありがと。

 

 

 

 

そんでそのまま2ヶ月くらい過ごして

 

だいぶ気持ちも楽になったし

落ち着いた生活を送れるようになってきていて、

 

11月に入ったら後輩の解剖実習が始まって

日中はかなりの時間をそれに費やすし、

 

自分の時間は減ってしまうけど

これまでの先輩、先生達への恩返しのつもりも含めて通っていて

 

 

結局卒論も、ぜんぜん書き始める気分にはなれなくて、

あぁ、また無理だぁって絶望感でいっぱいになってしまって寝れない日もあったりした。

 

 

それでも最後のギリギリに書き始めてなんとか書き切って、なんとか発表も終えれて。

 

 

頑張った。よく頑張ったよーー。って

自分では思ってる。

 

 

 

ゆっくりして良い時間過ごせたなぁって。

ほんとにみんなに助けられたなぁって。

 

 

 

もうほんとにそれで今がある。

感謝してもしきれないんだよ。

 

 

 

なので、多方面。

詳しくを話せずにいた周りの方々へ。

 

 

 

自分勝手に過ごしてごめんなさい。

許して欲しいです。

 

 

 

研究のしんどさは1番知っている人間のつもり。

私は研究を頑張っていたあなた達を馬鹿にしたことは一切ない。

しんどいよな、無理せず頑張ってなって気持ちでいつもいたよ。

たとえ研究をしてても、ライブには行ってるし大好きな人達のためには無理矢理でも会う時間を作ったりはしていたと思う。

そうゆうふうに生きてるからずっと。

 

もし私のここ2、3ヶ月の生活が

遊べる時間があって、暇なんだぜと自慢しているように写っていたら申し訳ない。

そんなつもりはないけど、自分を保ってゆっくり過ごすために必要だった。

いつもと遜色ないくらいのポストの量だと思うし、

ただ実習の手伝いに行く日や

何もせず論文を読む日でもお洒落して気分良くなって投稿するから出掛けて遊んでるように見えたかもしれない。

 

普通に忙しい時間もあったんだよ。

自分がサボってることが原因ではあるけど。

 

 

でもこの2ヶ月ちょっとは

そうやって生活することを頑張ってたんです。

 

生きてるのにやっとだったので、

ゆっくり自分のしたいことに没頭したり、大好きな人と会うことで保っていたんです。

 

その時間を送ることが出来たのは

死ぬほどしんどかった1年半くらいを過ごした過去の自分が居てくれたからです。

 

その過去の自分は限界を超えて死んでしまったけれど、感謝して、のんびり過ごしていたんです。

 

なので、許してください。ごめんね。

 

 

 

 

 

 

 

いつも周りにいてくれる

心を許せる人達へ。

 

いつも私の周りにいてくれてありがとう。

 

私なんかに時間を使ってくれるあなた達に、

私はいつまでも惜しみなく時間と気持ちを使いたい。

 

あなた達が幸せであってほしいと

そう思える人達で溢れている今の人生が、

 

十分すぎて、何より贅沢だと。

 

 

だから、大切にしてます。

なかなか会えなくても。

 

 

私なりに愛を伝えて生きていきます。

 

これからも、どうかよろしくね。

 

 

 

 

 

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こんな感じで今年は締めくくろうかと。

まとまらない散文であることがこの一年な気がする。笑

 

 

 

いやほんとにしんどかった。笑

もうほんとそんだけ。笑

 

 

 

でも今楽しいよ。

色々なことを心から楽しんでる。

 

 

 

ネガティブで繊細であるけれど、

どこか還元して人の心に寄り添える人間でありたいと。

しょうもなく弱い人間でありながら強くかっこよくあろうとし続けようと。

 

わがままにこだわり強く自由に

ありのままで生きて愛を伝えようと。

 

 

結局はずっと何も変わってないかも〜。笑

 

 

またどうせ何かにぶつかって

うだうだ言ってるけど、そん時はまたよろしく。

 

 

 

こんな1年でも収支見ればシアワセの勝ちだ。

匿名希望で生きる人生に負けてたまるか。

 

 

 

 

もったいないくらい良い人生送ってる。

それに見合う人間にならないとな。

 

 

まだ何も返せてない。

まだまだ死んでられねぇな。

 

 

 

 

 

新しい年がくることも

当たり前と思っているんだまだ。

 

 

曖昧さを美しくするのは想像力だ。

 

自分のことについてよく考える。

昔から分析が得意で、それ故に効率的だった。

それでいて妥協できず、こだわりが強い。

そして、ネガティブ。

まあこんなもんだろと思って生きてきたが

 

 

大学生になってから色々な人に触れた。

なんで自分はこう考えるんだろう。

なんでこれが嫌なんだろう。

そうやって反芻していると自分の本質が見えてくる。

 

 

 

 

繊細さん とか最近は言われるようになって

少しずつ周知されてきた HSP (Highly Sensitive Person の略称) についても考える。

 

Webなどであるような診断テストを行ってみると、点数がそこそこ高く、まあだいたいそんな感じの人間だろうと思う。

 

しかし、先天的なものではないのかもしれない。と感じる。

むしろ後天的に繊細になってきた人間性だろうと。

 

 

例えば、HSPの人の中には

虫が死んでいたり、横を通るバイクの荒々しい音を聞いたり、といった事象に

ひどく悲しみを感じて涙を流したり、

共感性が高すぎる故に小さなことでも通常の人よりも感動の幅が広かったり、

ということがある。

 

私は昔からこうゆうことがあったわけでなく、自覚があるわけでもなかった。

 

 

私は人の言葉、語気に1番気を遣う。

どういった心情、性格、考え方があって、それが前提で思考ができていると考えるので

この人はこうゆう人なんだろうと潜在的な部分を感じてしまう。

また、自分が無意識に人を傷つけるような言葉を言いたくなく、言い回しや寄り添い方に気を遣っているので、"そんな言葉が出てくるなんて信じられない"といった感覚にもよく陥る。

だいたいはスルーして深く関わらないので気にならないが、どうしても関わる空間にこのフィーリングが合わない人がいると、全て辞めて逃げてしまいたくなる。

 

そして音楽や絵画といったような芸術的な作品に触れると、涙が溢れてしまったり、異様なほど余韻が長かったりする。

どんなメッセージを込めているのか、どれほど時間をかけたのだろうか、

それを想像するだけでも胸がいっぱいになる。

映画やアーティストのライブに行った後も、余韻に浸る時間が長い方であって、

あまり話したくなくなってしまう。

具体的な話、感想をすることが野暮に感じてしまうので、"あぁ〜よかった"くらいしか連呼していないのだが。笑

クリエイティブな活力が湧く瞬間がネガティブな感情にあるようなアーティストは多いのではないかと感じていて、

死にたい時に書いたような落書きと

似たようなことをこれ以上なく繊細に、それでいてPOPに歌ってくれるようなアーティストがいて、救われる感覚があるんだと思っている。

 

あと匂いには敏感なんだと思う。

動物が嫌いなのだが、動物や餌の匂いが本当に苦手だったりする。また、タバコの匂いは昔からどうしてもダメで、わずかに感じてもイライラしてしまう。電子タバコでも嫌なので、電子タバコだから と話を投げてしまう人は苦手だ。気に入らない匂いがあると本当にストレスフルになってしまう。

この辺りは家族にも理解を得られないので、

家ではなるだけ自分の部屋に居たりする。

 

騒音に関してはそれほどストレスを感じない。

むしろ音のない世界が苦手だ。

自習室で勉強する みたいな環境が最悪に相性が悪く、無音で緊張感のある瞬間にはあまり触れたくない。

駿台予備校にいる時も、自習室には入らず皆んながご飯を食べに来るような休憩スペースでずっと勉強していた。むしろマクドの方が集中できた。

騒音がある中でもゾーンに入るような感覚があって、集中力は高いとは思う。

 

そもそも、考える時間が必要だったり

必要以上に考えすぎたり、1人の時間がないとストレスフルになってしまうような部分も特徴的であるのだと思う。

人といるとかなり疲れてしまうので、人と無干渉でいれる空間が必要だ。

誤解される事や、自分を分かられた気になられる事がとても苦手なので、

必要以上に言葉数を増やして、言い回しを考えて、最善策で伝えようとする。

これを会話で行うことにはいささかエネルギーが必要なんだろうと思う。

ネガティブな時には、人がいると監視されているような気分になってしまうので、

サボれない、休めない といった感情が脅迫的に頭の中で反芻され、逃げたい辞めたいという感情でいっぱいになってしまう。

 

電車に乗る時間はとても大事だったりする。

前後の用事と別で1人で干渉なくいられる時間を作れるからだ。

気心知れた人間ならむしろ過ごす時間が長くても嬉しいのだが。

 

 

これらの自分の特性についての話は

私はHSPなんです! みたいな稚拙な話でなくて、まあわりとぽい特性はあるよねー

くらいでしかなくて、

普段こんな事考えてる人間なんだーってゆうそれだけのことだ。

 

言ってしまえば、HSPの診断テストであったりADHDの診断テストであっても

"ある程度の人に少し当てはまる"ような質問は多い。

1人の時間が欲しい

緊迫した空間が苦手だ

誰かの怒りを感じるとストレスに感じる

など、、

 

一見誰でもそんな瞬間はあるような質問が多い。

重要なのは、程度 だということ。

その程度が突出していたり、それが原因でとても生きづらいようなレベルを得ている人がいるということを忘れないでほしい。

 

近年のネット社会、特にもう少し若い人たちの中に、ネタのようにそういった"特性"を挙げる人も散見される。

 

本当にそうゆう人が周りにいないんだろうと、想像したこともないんだろうと

でもそれが当たり前の世の中だよなぁと考えている。

 

しかし私はそれが嫌なので、

できるだけ周りの人にそんな人がいない環境がいいなと願ったりする。

 

 

なので、私はこんな人間だよーと開示してみる。

こだわり強くて繊細でめんどくさい奴だと思われても許してくれそうな人間に

期待してしまうので、伝えてしまう。

 

これが出来る様になった2017年あたりから

私は大事な人間を大事に生きることを

本当に生きがいにしている。

 

 

素直なんだ案外。

世話焼きで、人に興味なさそうに見えて

人間が大好きで期待してしまう暑苦しい人間なんだ。

 

だから、ストレートに伝えることが多いと思う。

愛してる人間には愛してるよーって

言ってる気がする。

相手を推し量って、想像して

言葉を選んで伝える。

こんなめんどくさいことができる相手は

自分が愛してる、愛したい人間なんだろう。

 

これが愛だなーなんて思ってた頃に

ぴったりリリースされた曲達を添えてこの話は終えとく。

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大好きなんだこの曲達。

彼らとおんなじこと思ってたんだよ。

おれも立派なアーティストじゃん。って

親友達におれが作ったん?なんて言われたくらい。

アーティストのメッセージを受け取って、還元して生きられてる気がするんだー。

 

 

 

そうやって愛を大事に生きれたらカッコいいじゃんー。

って思ってる私です。

 

今日はこんな話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の好きなアーティスト達は

愛を大事にしているんだ。きっと。

痛いほど伝わってきて、

涙が止まらなくなるんだ。

それだけで幸せすぎる人生なので、

多くを求めず、当たり前を大事にしていきたい。

当たり前の日常を感じられればそれでいい。

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ついでに。

HSPの診断テストは色々あって、

正確の判断をもらうようなものでもないので、参考程度にですが、あくまで、参考。

https://hsptest.jp

もしよかったら見てみてください。

 

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そこまでゆうのがどんなもんなんだろうと思った人はぜひ。

なんなら聞かせてほしいー。

優しいひと。

 

時に優しさは人を傷つけてしまう。

優しさで傷つく事の方が心には重いかもしれない。

悪意がないからだ。純粋だから辛い。

 

 

 

優しい言葉、その無垢な優しい言葉は

 


努力の果てに行き詰まってしまった人

目の前のやるべきことに追われて疲れてしまった人

理不尽に負けたくないと踏ん張っている人

心が疲れてしまった人

そんな人たちには

 


時折、鋭利な刃となる

ひとつも優しくなんてない。

 


優しさには経験がいる

推し量れるだけの経験がいる

そんな経験も持ち合わせずに

色んな人間に向かって風当たりのいい言葉ばかり

並べていることは優しさではない。

 

 

 

あなたなら大丈夫

頑張って

 


この一言は時にどうしても重くなる。

 


私にとって一番嫌いな言葉だ。

「大丈夫」「頑張れ」

 


極力使いたくない。

本当なら使いたくない。

 


頑張らなくていいよ。

やめてしまってもいいんだよ。

 


そういってあげたい。

私はそう言ってくれる人に出会いたい。

 


でも言ってしまうんだ。

あなたは大丈夫。

頑張ってと。

 


誰しもにではない。

愛を持って接している人間に対してしか

使えない言葉だと思っている。

 


頑張ってもどうしようもなくて

それでも限界でも、〆切や期限は来るし

この時の絶望はなるべく経験したくない。

 


でもこの淵で戦って来れたのは

1番嫌いな言葉をかけてくれた人間の存在だ。

愛している人間の存在だ。

 

 

 

軽々しくないんだ。

お互い背負っているモノもある。

これまでの苦しい経験も持ち合わせているゆえ、

あぁ、1人じゃないな。

 


そう感じれる言葉なんだ。

 

 

 

浅い関係の中で生まれるその言葉には

本当は思っていないんだろうな。

くらいに感じてしまう。

どこまでいってもその言葉は他人行儀だから。

 


頑張れと強く思うほど

そんな言葉は声に出せない。

 

 

 

でも想いを伝えたい。

どうやったら1番嬉しい言葉になるだろう。

なんていって欲しいだろう。

 


いや。ちがう。

自分だからこそ言える事は何だろう。

 

 

 

誰でも言える言葉を

こんな言葉言われたら素敵だよなって言葉を

甘い、優しい言葉を

 


そんな言葉に意味はない。

 

 

 

 


だから私は言葉にこだわるんだ。

 

 

 

 


少しでも自分の経験や気持ちを

こめられる表現はないか。

傷つけてしまう可能性はないか。

 


そのために言葉を知らなければならない。

色々な経験をしなければならない。

そしてそれを言語化できた時、

相手に伝わる部分があるんじゃないか。

 

 

 

それが自分だからこそ言える言葉で

自分だから伝えられる想いだろう。

 

 

 

 


文面だからこそ考える。

でも対面で話している時も

綺麗にまとめられた表現なんかよりも

上手くまとまってないけれど

 


それでいて何か伝えられる部分が多いほうがいい。

 

 

 

それは愛だから。

どうしても伝えたいから。

 

 

 

どうしても力になってあげたいから。

 

 

 

だから私は勉強をする。

教養を得ようと思う。

色々な経験をしようと思う。

色々な挑戦も。発信も。

 


1番嫌いな言葉を

正面切って伝えられるように。

意味のあるその言葉を伝えられるように。

 

 

 

経験や教養は自分を一生助けてくれると思っていた。

 


だけどこれは

自分以外のために、誰かを救うために

役に立つんだ。きっと。

 


そう思えばなんでもやってみようと思える。

なんでも挑戦してみようと。

たまには諦めてみようとも。

 

 

 

愛せる存在がいるだけで私はそう思える。

 

 

 

それだけで幸せじゃないか。

 


この幸せをどれだけ周りに還元できるだろう。

どれだけ助けてあげられるだろう。

 


おこがましくも

そこにこだわって生きていこう。

 


それは生きがいであり、生き様なんだ。

 

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わりとこんな心情なんだ。

 

どうしてもネガティブなんだ。


このどうしようもない不安と
全てから逃げ出したくなる気持ちを
何度も経験したAM2:34。


でもそろそろ寝ようと思っても
なかなか寝付けない。

 

明日は朝早いのにな。

やる事がいっぱいある。

終わるかなぁ。終わらなかったらどうしよう。

寝ないと体調も崩しそう。

 

そう考えていると寝れないまま

短針が3を超えてしまう。

 

あぁ、どうしてこんなに

ネガティブなんだろう。

強い心を保てないのだろう。

 

何度も思う。

 

 

乗り越えることができなかったわけでなく。

これまで乗り越えてきた。

 

絶望を感じるタスクとも向き合って

なんだかんだ実習や発表も良い成績だった。

 

それでも間に合わない。

絶望の可能性を感じている状態には

一向に勝てない。

 

ああ、無理だ。

ここで間に合わなくて全部無理だ。

留年か。あー。

 

どんどんマイナスに向かっていく。

 

反転術式でも使えたら

かなりのポジティブではないか。

なんて。

 

 

寝れない夜は

頭痛と仲がいい。

 

今日は目の奥と後頭部が痛い。

重い。今日寒いからかな。低気圧かな。

 

 

痛みが引くまでに寝てしまうと

翌日にもついてきてしまう。

 

また寝れないなぁ。

早く薬効かないかな。

 

あぁ、寝落ちしそう。

いっそ寝落ちして明日も全部寝ときたい。

何もしたくない。。

 

 

そろそろ日が昇るなぁ。

新聞はもうとっくにきた。

 

心が疲れている。

これをずっと感じている。

 

なぜか分からない。

ただずっと曇りなんだ。

 

楽しんでいても

笑っていても

どこかずっと暗い重みが残っている。

この違和感はなんだろう。

 

 

このまま抱えていくものなのだろうか。

ホントのとこ。

 

よく人に何考えているか分からないと言われます。

でもこれは半分は無意識で半分は妥当だと感じる部分です。

 

 

実際、自分の意見を言うことをあまり好まないのです。

 

ここは自分を知る人にとっては

意外に思う部分かもしれません。

 

普段から、自己分析と感覚の言語化には

気を遣っているので、

それだけでボーっと時間が過ぎることもあります。

 

何が言いたいかというと、

自分の考えを伝える時に

その自分の伝えたい"ニュアンス"、"行間"の部分を不自由なく受け取ってもらえるような人に対して、

思うホントのところを話すようにしていると。

たぶん半分無意識に。

 

 

自分のように意思を曲げることがあまりないタイプで、ディスカッションを好む性格だと

ニュアンス、行間の部分で誤解や曲解を生みやすいと感じてきた人生経験がそうさせているのだろうと思います。

 

これは1番しょうもなく、

ただ1番人間臭いところだと感じている部分でもあって、嫌いなわけではありません。

 

なので全く関わらないだとか、

意見を言わないということはしないのですが、

気づけばうまくその場をやり過ごしていることの方が多いのでしょう。

 

自分の趣味や、1つの物事に対し深く考えている自負があるので、

物事について浅くしか考えていない人にはどうしても上手く伝わらないのです。

そしてこちらからそれを説明するつもりもないので話さないのです。

この伝わらない部分をストレスフリーに話せるあなたたちを

私は本当に大事にしています。

 

 

 

自分は人付き合いが苦手なので

他人と接する時にはかなりエネルギーを使います。

振る舞い、気遣い、言動、時間を共有するというストレスに対し。

 

あまりそう見えていないかもしれない。

そう見えないようにも、また別のエネルギーを使います。

 

どちらも大きな部類では"演技"です。

 

無駄なエネルギーかもしれないけれども

これは自分にとって

ある程度うまく生きていくためには

必要不可欠なエネルギー消費なのです。

 

反動は案外大きくて

 

家に帰宅してからは

基本的に3時間程度は

自分ひとりでただぼーっとしたり好きなことに没頭する時間を作っています。

睡眠を削っても。

これは寝るよりも回復になるのです。

この時間は他人には"暇してる"と捉えられがちです。

なんでその時間でLINE返してこんの。みたいなことは多々あります。

 

これは多分多くの人にとって

お風呂に入ってゆっくりしてる時間と同じ感覚なのです。

その時間が少し長く必要なだけです。

 

 

こんなことにエネルギーを使わなくて済むなら

もっと楽に生きられるなぁと。

 

 

なんだかんだで長文で書いているので

それだけで 病んでる と捉える人も

最近は少ないと思いますが恐らくいると思いますので、

 

別に病んだり、しんどいわけではないです。

 

自分の人生はとても充実していて、もっと生きたいと強く思っています。1人でも多く周りに何かを与えたいのです。

 

 

 

まあこれは

自分らしさだと思っています。

 

主張できる。意見を言える。

負けず嫌い。こだわりが強い。凝り性。

他人に興味がない。他人からの見られ方を気にしない。自分を持っている。

1人が好き。ドライ。

アーティストが好き。読書が好き。

ゲームが好き。ファッションが好き。

尊敬を大切にしている。

 

パッと浮かんだ自分のこんなところは

ある意味では自分らしさではなく

 

結局、統合して生きているいまの生き方が

自分らしさなんだなぁと思います。

 

 

エネルギーのコントロール

もう少し上手くなりたいと思うけど

ここまでの人生で色々試してきた結果の部分でもあるので、

他人に簡単に指図されるような事でもないのです。(アドバイス、ディスカッションはもちろん受けます)

 

 

何も考えず気楽に生きてる方がいい

 

 

とは思わない!絶対に良い生き方をしてる!

この生き方、生き様で

大切な人達に感謝と愛を伝えて生きよう。

 

 

ホントのとこを伝えれる人達に。

 

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十分すぎる。

 

久しぶりにブログ書いてみました。

 

んー、何か書きたいというよりは

思うこと感じることを少し整理出来れば。くらいに。

 

最近の話。

 

 

 

 

ここ3ヶ月近く、

自分の人生の中でもかなりタフな期間でした。

心身ともに、特に心の部分で

なかなかにタフでした。

 

 

 

特に周りに言及はして来なかったですが

ある1つの死に対して

それを受け入れることに対して

とても時間がかかっていました。

 

 

 

そのタイミングは、

自分の体調もあまりよくない時期で

かつ、テスト勉強や提出物、研究と

多くの事が重なってしまった時期でした。

 

 

 

 

私はこれまでの人生で

自分は近しい人の死に対面する事はなく

そして自分の好きな人や尊敬する人の悲しい出来事に対することもなく生きてきました。

 

 

 

ただ、

この半年少しの間に

多くの人が亡くなりました。

 

それは誰かにとって大切な家族で、

みんなの知っている芸能人だったり、

 

遠い話ではないと常に思い続けてきました。

 

 

その度に、

SNS上で流れる「悲しい」という声

「悲しい、ショック」という声

そして、ワイドショーなどで流れる特集や

遺族のSNSに対する多くのコメントを

目にしてきました。

 

 

自分はそれに対して

大きな違和感を抱き続けてきました。

 

 

 

本当に悲しい?

 

 

 

悲しいという声を上げる人は

コロナ禍でもなんとか遊びたい、外出がしたいとすぐにSNSにあげるような人に感じました。

少なくとも自分の目にした範囲では。

 

 

結局は自分の事とは切り離して

他人事でしかないんだな。と。

 

 

 

ある人が亡くなった際に、

「誹謗中傷」というワードが溢れかえりました。

私はその人に詳しくはないですが

実際死を選ぶ理由なんて本人以外に分かるはずもないのに、と思っていました。

 

誹謗中傷がこれまでにあった。

 

という状況で、

そのTwitterのリプ欄を見てきたにも関わらず

気にもとめず、ただ傍観していた人々が

 

誹謗中傷ありえん!そいつが殺した!

SNS上では威勢よく声を上げている。

そんな姿ばかりが目に入りました。

 

 

それは例えば

クラスでいじめが起きていても

気にもとめていなかった、傍観していた人が

 

いじめが終わるタイミング

うまく言えませんが、いじめられていた子が

助けられるような瞬間で

すぐに味方に回り、あいつが悪かった

と寝返るような人ではないでしょうか。

 

サイレントマジョリティーでしかなかった。

自分は声を上げる事もなかったくせに。

 

 

 

正義を振りかざせるほどの

行動をしていたのか。

 

と感じてしまっていました。

 

 

 

 

 

感じている違和感がうまく伝わるかは

分からないですが、

 

もうそれを見たくないと。

全てを閉じてしまいたいと思った時期がありました。

 

 

 

冒頭で述べた大きな1つの死があった時

 

 

それから2週間ほど

SNS、テレビなどのメディアを

全て遮断しました。

 

 

最低限、テストなど助けてくれる友達との

連絡をしていたくらい。

 

 

正義面した言葉

死んでから美化されるエピソード

心配!大丈夫??と大量に送られるリプ

勝手な予測でしかない死因

 

 

見たくないもので溢れ返ることが

容易に想像できたから。

 

 

 

 

 

1人で部屋にいる時間

何も手につかず、色々な事を考えて

眠れず、ただ涙が止まらない。

そんな時間を過ごしていて、

でもテストもあるし、提出物もどうしても終わらせなければならない。

 

 

本当に動くことがしんどくて

何もかもやめてしまいたいと思いました。

 

 

 

でもその時に周りの多くに支えられて

 

なんとか乗り越える事ができて

周りのみんなに本当に感謝してます。

 

 

 

 

 

その人を私は尊敬していて

また、私は

その人が仲間同士で

お互いに尊敬し合い、色々な業界で頑張っている姿に憧れていました。

 

 

バンドマン、俳優さんであったり、

美術家、演出家であったり

 

でも彼らがお互いをリスペクトして

それぞれ活動している事を見ているのが好きで

 

そこに大きな憧れと勇気をもらっていました。

 

 

 

 

自分にとっても

お互いにリスペクトし合える大切な仲間がいて、

私は勝手に尊敬するその人達の関係性と

自分の周りの仲間の関係性を重ねていました。

 

 

みんなそれぞれ全然違うことをしていて

 

でもリスペクトし合える仲で

どんな相談もできて、

誰かが倒れてたら何があっても優先して

飛び立てるような仲間です。

 

 

 

自分にとって誇らしい仲間がいて

 

 

でも、もしその中の1人が

 

どうしてもうまく消化しきれない悩みや

大きな負の部分を抱えて

 

命を絶ってしまったら。と考えました。

そんな状況、自分だったらどう思うだろう。

 

こんなに分かりきってると

お互いなんでも言えると

思っていてもそんな事があり得てしまうんだと。

 

死ぬほど怖くなって

 

自分は過信しているのかもしれない。

大切に思っている友達、仲間を

失うわけないと思っていた。

 

でも失う可能性は当然のようにあると。

 

 

 

 

 

当たり前に思っている日常で

 

当たり前のように自分の周りにそんな

もったいないくらい素敵な仲間がいて

 

 

でもそれはどれだけ幸せなことなんだろう。

 

 

 

 

SNSを断つ前に

仲間に伝えました。

 

どんだけ辛くても抱え込む前に絶対に

言って欲しい。頼って欲しい。

 

そんなことを絞って伝えました。

その時はそれが精一杯で。

 

 

 

 

それ以降、

休み期間に普段なかなか会えない仲間に

会う機会がありした。

 

 

言葉にして伝えよう。

 

 

会う親友達に

出来る限りの事は正面から伝えているつもりです。

たぶんうっとうしいくらい。

 

おれには大切な存在で

会える事が嬉しいし、頼って欲しいと。

ただ生きてて欲しい。

 

 

 

それでも、

人は自分が一番しんどい時、

辛い時にそれを打ち明けられない事があると

そういう生き物だから

 

言って満足、いつかあっちから言ってくる

ではなくて、常に気をかけてやりたい。

 

 

そして私がどうしてもしんどい時、

辛い時は助けて欲しい。力になって欲しいと

心の底から思います。

 

そんな仲間がいる事が、

 

かけがえのない宝物で

シアワセだと感じられる大きな部分です。

 

 

 

 

 

この数ヶ月の間、

ほんとにしんどい時に支えてくれた人達に

感謝しきれないし、

 

普段から、

どうでもいい話から相談事まで

色々付き合ってくれる人がいて

 

それだけで幸せです。

 

 

 

 

いつも本当にありがとう。

 

 

 

 

少し前のONE OK ROCKのLIVEで

 

私はその大きな死を1つ受け入れて

前に進めるきっかけになった気がします。

 

 

 

前を向いて、

おれには十分すぎる幸せを

大切に大切に生きていこう。

 

 

そして誰かに愛してると伝えよう。

 

 

 

そんな人生を。

 

 

考えを行動に。

 

前の投稿から年をまたいで、

かなり久々の投稿になりました。

 

下書きは溜まっていくのに投稿出来ずじまいで。。

 

 

それは置いといて、

今年は、挑戦の年にしようと。

 

 

将来やりたいことが

少しずつ具体性を帯びてきたこの頃。

 

大学を卒業してから、

その実現までの間にキャリアを積むこと

そこに繋がる活動を今のうちからする。

結局今の自分にできることはココだと思います。

 

 

野球少年だけじゃなくて、

これからの時代で、

"健康寿命"にもっと目を向けると

親の世代に運動が普及する仕組みが出来たらいいなとか考えたりしています。

 

東京オリンピックに注目が集まるタイミングで、

何か運動への関心を

運動する行動力へ変える手助けができる

イベントを開催できたらいいなとか。

 

なんか上手くまとまらないけども、

考えていることが繋がってきたらいいなと。

 

夏休みの期間には、

大きなスポーツイベントをriseで開催したいななんて考えています!

 

 

 

土日の時間をどう過ごすか。

これはずっと考えていたことですが、

 

土日にいっている施設でのバイトを1ヶ月休ませていただいて、

自分にとって1番良い使い方は

何なのか考えることにしました。

 

きっと今の自分に必要な時間だと思います。

 

 

 

SJSの4期メンバーとしてもこれから活動していきます!

会ってみたい人もたくさんいます!

同年代のすごい人達に刺激をもらって、

より自分も成長したいと思います!

 

もっと多方面の知り合いを増やして

自分の将来のビジョンを

明確にしていきたいな。

 

 

 

 

そして

いつも1番刺激を受けるのは、

周りの友達です。

みんな、違うこと目指して

海外に目を向けたり、何か動こうとしていて

そんな奴らが好きです。

 

集まってバカやりながらも

お互いに夢を語り合えるような

いつも支えになってる存在に感謝してます。

 

就三、留学頑張ってこいよ🇺🇸

成長して帰ってこい!

 

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明日は、

マリナーズvsアスレチックスの試合を観ます。

イチロー選手をついに生で観れます。

 

楽しみだー。。。

 

日本とアメリカの野球の違いを

肌で感じてきます。

 

 

 

 

こまめに書いていきます。笑